喜んで「子ども」でいよう。

15の俺は激怒した。

中学校で教師に理不尽なことで説教されたことがある。
それが腸が煮えくり返るほど許せなかったのではない。
それについて納得がいかない俺の様子に、大人ぶった同級生が「お前も大人になれよ」と言われたことに対して憤慨したのである。あの時は憤死寸前だった。
あのボニファティウス8世のように。
(ボニファティウス8世が本当に扮ししたかどうかは諸説ある)

俺が激怒した理由は以下の通りだ。
1、「大人になる=納得いかないことでも自分が悪いと認める」という価値観を押し付けられたから。
2、自分は大人だと勘違いした者に偉そうに助言されたから。
3、なんかすげえ馬鹿にされた気がしたから。笑

自分が納得のいかないことを素直に受け入れるのが美徳なのであれば、俺は喜んで悪徳でいよう。
嫌なことを押し付けられて、反発できないのであれば奴隷と変わらないではないか。
自分が正しいと思ったことを主張できないように教育するのが義務教育の狙いなのであれば、学校なんて週1くらいで行けば十分だ。
(一応、急いで断っておくが、私は日本の学校教育の質の良し悪しの判断は置いておいて、学校には通うべきだと思っている。理由はまた今度。)

俺は他人の価値基準を押し付けられるのが世界で一番嫌である。
だから、自分が面白いと思ったことは面白いと言うし、美しいと思ったものは美しいと言う。

自分自身で決めた目標や考えを揺るがすな。これが当時からのモットーである。
他人に何を言われようと俺は自分の生徒をそれぞれの第一志望に合格させるし、また新しいビジネスを始める。
会社に入って、自分は安定していると勘違いするよりかは、俺は誰にも真似できないことを追求し、挑戦し続ける。
就職することが大人になることだと大多数の人間が定義するのであれば、俺は喜んでいつまでも子どもであり続けてやろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です